さくら - さくらに囲まれた気分はどうですか?











































2009年・春の更新時に、「IV 折々の花」 に手を初めました。健康上、しばらく歩く機会が 乏しくなりそうですが散策時に私に向かって輝く 花々に、目を注いでいきたいと思います。
四季折々の花々の美しさは、この公園の魅力の 一つです。先年、昭島市在住の写真家・瀬戸豊彦 氏の写真集『昭和記念公園の四季』(けやき出版) も出版されて、にわかに公園内はカメラマンで賑 わいを呈してきたかのようです。三脚を片手に、 立派な一眼レフのカメラを持った方達。お年寄り や女性の姿も目立ちます。私のポケットには愛機 FINEPIX。下手な素人写真に「こだわり」がある とすれば、「公園には人の姿は欠かせない」という 点でしょうか。
〔A〕 さくら
チューリップやポピーとともに桜は公園の春の象徴です。〔みんなの原っぱ〕北端の〔桜の園〕 を中心に、各所に見られる染井吉野。〔川沿いの 散歩道〕には一足早い寒緋桜、そして〔日本庭園〕 の枝垂れ桜が少し遅れます。
昭和記念公園の桜は、都心にくらべて一週間程 遅いようです。開花宣言は三本の「基本木」の開 花状況から判断されるそうです。写真の「基本木」 はレインボープール西の車道沿いにあります。他 は〔桜の園〕にあるそうです。
全国には数多くの桜の「名所」があり、「名木」 があります。「開花宣言」とか「桜前線」なども 季節の話題となります。名所・名木を美しい写真 とともに特集する雑誌も書店に並びます。書店の 棚の文学作品にも、春に欠かせない小説の舞台と して登場しています。単なる背景や舞台ではなく、 桜の妖しい美を芸術の力で表現したものもありま す。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」とか、 「桜の森の満開の下」に人間の狂気があるとか、 花鳥風月の伝統的感性を払拭した独自の視点で捉 えた現代文学も、その類でしょう。
数年前、所用で妻と共に岡崎へ赴いた帰途に、 愛知県尾西市の「三岸節子記念美術館」を訪ねま した。そこで見た『さいたさいたさくらがさいた』 (1998・油彩)に描かれた古木の生命力には 圧倒されました。拙宅の玄関には、日本橋で開催 された展覧会で買い求めた『白い花(ヴェロンに て)』の複製画が掛けられています。甕に活けられ た白い花の構図や、先生がよくお使いになる焦げ 茶色のもたらす調和など、それまで画集で見てい た作品の中でも好きな作品でした。花をたくさん お描きになる先生の作品では、花の識別は想像の域 を出ません。しかし、この作品には「さくら」と いう固有の名前がつけられています。花瓣や花心 が塗りつぶされても、それは桜以外の何ものでも ありません。大きな画布(130×160)いっぱいに 広げた枝々、その全体にまるで湧き上がる雲のよ うに描かれた何か。それは、ただ「桜花」などと 名付けただけでは済まない、迫り来る圧倒的な何 かなのです。太い幹に支えられた重厚な命の質感 が見る者に迫ってきます。カメラのレンズでも、 人間の目でも捉えきれない、芸術家の心でこその 世界であろうかと思います。
この公園の桜の魅力は、おそらく他の花々との コラボレーションにあるのでは?と思っています。 桜の季節は百花繚乱。原っぱの〔東花畑〕いっぱ いに菜の花がひろがります。〔西花畑〕にはポピー が燃えています。〔桜の園〕に囲まれて、ともに春 を謳歌しています。また樹間を埋め尽くす〔渓流 広場〕のムラサキハナハやチューリップも遅咲き の桜とのコラボを楽しむかのようです。
桜の美しさを、一輪一輪の花に求める人は稀で しょう。枝を大きく広げた古木の佇まいに、目を 奪われる方が多いのではないでしょうか。しかし 公園を散策するばかりの私にとって、春の花々と ともに、春の風景を弥が上にも明るく輝く世界に 変化させる生命力に美しさを感じています。
それらに囲まれて、花の下の宴がたけなわです。 大小のグループが円座を組んで楽しげです。広い 原っぱでは子供たちがボールを追って、駆け廻っ ています。空には凧や紙飛行機が飛んでいます。 普段にも増して風景が明るく、華やいでいます。
「どんな樹の花でも、所謂真つ盛りといふ状態 に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰 囲気を撒き散らすものだ」(梶井基次郎)と捉える 反面、やや時を経て散り初めた花びらには無量の 時間が感じられ、これもまた恍惚とした世界に誘 い込まれます。散っても散っても桜の梢に寂しさ は訪れません。散歩の折、春の風にのって舞い散 る花びらを目の前にして、ポケットのデジカメを 出し、シャッターを切りました……。そんな無謀 な失敗は、今までにも何度か経験していました。 性懲りもなく繰り返すのは、目の前の光景に見る 見る引き込まれて分別を失っていた証でしょう。 桜の梢に一抹の寂しさを味わう頃、『遅すぎた 花見』に訪れた加賀乙彦は「花は散ってしまい、 こんな時期に来る人も少なく、わびしい光景だが 花びらが密に敷きつめられた道というのもおつだ と思うことにした。と、風が渡ってきて、花びら が一斉に立って、車輪のように転がり始めた。無 数の模型の車輪の乱舞だ」(1994・日本経済新聞) と移ろいゆく季節の点景にも面白味を感じていま す。こんな折は公園の〔桜の園〕脇の渓流は落花 流水の趣で、明るい春の賑わいとは別種の、しっ とりと落ち着いた雰囲気を漂わせています。渓流 の水面に帯のようにゆったりと流れる花びら、桜 の樹間に散り敷かれた花びらは、恰も霜の下りた 佇まいです。そんな風景の中にも必ず、ひっそり と、人がいます。渓流脇の岩に腰をおろしたり、 ご持参の折りたたみ椅子に腰をかけたりして絵を 描く人がいます。近寄らずに、ゆっくりと歩きな がら、そっとカメラを向けます。
* 油彩画は記念館のポストカードをスキャンしたもの
〔B〕 コスモス
秋はやはりコスモス。紅葉の前奏曲。春と並ん で美しい季節の到来です。
〔みんなの原っぱ〕のコスモス畑では、黄色い コスモスを中心に変化に富んだ色彩が楽しめます。 でも私は、ピンクの濃淡を基調とした〔こもれび の丘〕のコスモスに野の花の趣が感じられて好き です。ここは陽当たりのよい南に面した緩やかな 斜面。春は花々が織りなす多彩な色模様、時には 〔ポピーの丘〕になったりします。秋はコスモス。 だから「この季節、この丘を〔コスモスの丘〕と 呼んでいます」とパークトレインのガイドの声が 歩く私の耳元に聞こえてきます。
パークトレインの中でも、また歩いてでも、左 に大きく曲がって、初めて燃える丘を目にした時、 「ワァー!」という歓声を何度も耳にしました。 或る日、斜面中腹の散策路を私の後ろから歩いて いた若いお嬢さんたちが「天国を歩いているみた いね!」と話していました。私も何となく嬉しく なっこ記憶があります。
しかし残念なことに、いつ出かけても風に揺れ、 色とりどりに燃える美しい丘の中に身をおけると はかぎりません。颱風の進路は?昨夜の激しい雨 の影響は?など、気になることは沢山あります。 もちろん風に倒れても、「やがてそのまま枝葉を上にのばして花をひらく。弱くて素直で、しかも 強情で強い。そのあたりが、なかなか魅力を感じ させる」(詩人・富士正晴)という御意見もあり、 尤もなこととは思うものの、この丘のコスモスに は似合いません。
植物の世界も研究が進んで、様々な改良種が世 に出て、多くの人の目を楽しませてくれています。 コスモスの原種はメキシコのものだそうですが、 原種は一重のピンクのようですが、今では形状も 色も多様になり、中には夏に咲くコスモスも開発 されているようです。私たちに郷愁とともに野の 花としてイメージされているコスモス、季節には 花屋さんの店頭には鉢植えが並びます。そうした コスモスもあるいは改良されたものなのでしょう。
改良種と言えば、〔みんなの原っぱ〕のコスモス は、〔こもれびの丘〕のそれとはだいぶ趣が違いま す。中でもミツバチの研究でも知られている玉川 大学農学部の永年にわたる研究、開発が実を結んだ 新種「黄色いコスモス」は有名です。黄色は従来の コスモスにはない花瓣の色で、1987年の同大学 の学園祭で初めて一般公開されました。「イエロー ガーデン」という新種です。当初は「どうしても 花瓣の裏が少しピンク色が残」(S先生書簡)った そうです。その後も同大学による改良は続けられ、 「イエローキャンパス」「オレンジキャンパス」 などの新種が公園を賑わしました。
玉川学園では以後、幾つものプランターに植え て学園あちこちの通用門で来園者を迎えています。 きっと今年(2009)の秋も、お見えになる 方達の目を留めていることでしょう。私も一昨年 (2007)に職を辞すまで、奉職していました ので、散策中に黄色いコスモスに出合うと、何か 愛着を感じますが、やはり丘のコスモスに風情を より強く感じます。開発研究者の稲津厚生助教授 (当時)の「花の色がひとつ増えることは、その 花ばかりか他の色の花をも引き立たせる」(「東京 新聞」1987)というお言葉に、研究者として の謙虚さも感じて共感させられました。
この夏(2009)、私の季節の挨拶に対して、 或る方から手書きの丁寧な封書をいただきました。 玉川大学農学部で学ばれ、生物学が御専門である 大先輩のS氏からでした。手紙には「黄色いコス モス」開発にまつわる思い出が書かれていました。 門外漢の私には分からない点もありながら、興味 深く読ませていただきました。何よりも奉職中に お世話になった若輩の私のHPに御意見を寄せて いただいたことが嬉しく、感謝の思いでいっぱい です。
(「黄色いコスモス」のアップの写真は 玉川学園グッズのポストカードです)
〔こもれびの丘〕では赤や白、そしてピンク色 の濃淡が不規則に混ざり合って風に揺らいでいま す。これが日本の野の風景として記憶されていま す。芥川賞作家の高樹のぶ子さんは「コスモスと いう花は、一輪だけでは美しくない。集団になっ てこそ、本領を発揮する」(1991)と書いて います。しかし一輪の花瓣の造型は、単純明快で、 「コスモス」の語義の通り、静かに統一感を保ち、 可憐な美しい花です。女史はそれを認めながらも なお、あのように仰ったのでしょう。〔こもれびの 丘〕に立って、秋風に揺らぐコスモスを見れば、 その言葉の真意が伝わってきます。
或る日の散歩の折、丘の下を砂川口に向かう途 中で、道路脇の竹垣から溢れ出たコスモスの一叢 に、ふと目を引かれました。野の風景の、さりげ ない演出かとも思いました。しかしよくよく考え ると、竹垣はほんの一郭だけでしたので、倒れた花茎を支えるために、何方かが手を尽くされたの では?と感じました。時には雨で土が流されてい たり、自然のままに雑草が巾をきかせていたりし ていますが、こうした配慮を目にすると管理者の 御苦労がしのばれます。
丘の背後には、立川で最も高い標高の〔展望台〕 があります。コスモスの向こう、東にはファーレ のビル群やモノレールが、南には川向こうの多摩 丘陵が、西には遠く奥多摩の山影が、そして北に は砂川の町が間近に迫っています。〔展望台〕に 向かうひらけた斜面にお弁当を広げる人も少なく ありません。この一年、残念ながら登る勇気は、まだ湧いてきませんが……。
〔C〕 ネモフィラ
先日「サマーフェスティバル2009」の一環 で、西立川口でアンケートを呼びかけていました。 特に急ぐ散歩でもなく、というより急げない散歩であるので、二つ返事で引き受けました。私の前 に広げられたアンケートは、日常行われているそ れの2~3倍の質問事項があり、実に応え甲斐が ありました。職員の方が何種類かの花の種を示し て、「回答のお礼に、お好きなものをどうぞ!」 ということでした。迷わず、ネモフィラの種を いただき、秋には妻に蒔いてもらおうとポケット にしまい、真夏のとしては過ごし易い曇天の一日 の散歩をスタートしました。
公園にネモフィラの咲くスペースは年毎に狭く なっていき、残念な思いをしています。そんな思 いが生じたのは、数年前の散歩で、ある一つの ネモフィラの思い出が出来たからなのです。
春の〔こもれびの丘〕は、年ごとに花の選定や レイアウトが変わります。めまぐるしく変化する と言った方がよいかもしれません。数種の花が織 りなす色模様が、私は、この丘のイメージとして 好きだったのです。しかしこの年、丘の斜面一杯 にネモフィラの清らかなブルーの花瓣が、初夏の 微風に揺らいでいたようです。さほど目も注がず に、ひたすら砂川口を目指して歩いていました。 その頃、まだ「健脚」と言えないまでも年相応に 歩けていました。砂川口横の、広く立派な売店で オレンジジュースで喉を潤すのが常でした。
そんな初夏の一日の散策、砂川口手前の休憩所 の前を通った時のことです。丘に対峙する休憩所 の大きなガラス戸いっぱいにネモフィラが映って いたのです。はっとしました。ガラスに映った、 淡いブルーの集合体を私は美しく思い、思わず、 見惚れてしまったようです。ややあって丘を振り 向かず、ガラス戸に向かってカメラを向けました。 このカメラで果たして写し撮れるかどうか不安で したが、その日の私の記憶を呼び覚ます媒介には なったようです。
年々歳々花相似たり。しかし新しい季節の訪れ とともに開く折々の花は、その年の、その季節の 一期一会の花の筈です。にもかかわらず見向こう ともしないで、見慣れた旧知の風景として捉えて いたのでしょう。鈍い感性のまま通り過ぎようと していた私が、ガラス戸のネモフィラに、はっと 気づかされたのだと思います。
振り返って丘の風にそよぐネモフィラをカメラ におさめました。それ以来、ネモフィラの淡い花 色と、雲間草にも似た可憐な形状と出合うのを、 楽しみにするようになりました。同じネモフィラ でも一般的なブルー、それも淡いブルーの色合い が、得も言われぬ清涼な感じを与えてくれます。 時には矢車菊が丘を彩ることもあります。しかし、 あの碧さは何か寂し気な感じがします。単純で、 あけっぴろげな花の形状には、あの明るいブルー がぴったりです。公園のあちこちにブルーの花を 見かけます。アザミやブルーサルビア。ハーブ園 のセージのブルーもきれいですが、ポリジの淡い 感じはネモフィラの色にも似て好きです。この色 を、昔は瑠璃色と読んだようですが。
バーベキューガーデン南の花畑にもネモフィラ の一郭がありました。私がカメラを向けていると 散策中のご婦人たちが「国営ひたち海浜公園」の ネモフィラの丘の思い出を話されていました。耳 に聞こえてくるままに、私も映像で見た広大な丘 を思い浮かべていました。ネモフィラに限らず、 コスモスも向日葵も、ポピーやチューリップも、 昭和記念公園のとても及ばないスケールの花畑は、 決して少なくはないでしょう。公園には、それぞ れの個性があります。花にも、その花の個性が・ 美しさがあると思います。その花らしくあるよう に、手を添え、心を寄せて行くべきだと思います。
〔D〕 チューリップ
あまりにもポピュラーで、敢えて採りあげるの が憚られるくらいです。幼児から花と言えばこの花で、背の高いヒマワリも綿毛とばしのタンポポ もとても及びません。お絵かきでもチューリップ、 歌をうたっても「咲いた咲いたチューリップ」と 元気な声を張り上げます。でも、この公園の花の 中では無視できない位置と、美しさを兼ね備えて います。
チューリップフェアの季節には、沢山の訪問者 を迎え、賑わいます。〔渓流広場〕の小径は立ち止 まって三脚を立てる人、膝を折って低いアングル から構える人、そうしたカメラマンの脇を遠慮が ちに逍遙する人たち。秋のコスモスに劣らない春 の主役です。また、その多彩な色彩や形状。渓流 に沿って意匠された色のレイアウト。その魅力に 触れないわけにはいきません。
〔こどもの森〕の〔森の家〕前広場もムスカリ やチューリップで溢れます。家族連れや子供たち が、花を背にカメラにおさまっています。しかし 圧巻は〔渓流広場〕のチューリップ畑で、ここで は大人達の姿が目立ちます。カメラも遠景に接写 にと、もっぱら花そのものに向けられているよう です。私は散策中、ふと立ち止まってシャッター を切ることが多いのでチューリップも風景として 撮影します。特別な意識もないまま撮った写真は 「マイピクチャー」では「七色のチューリップ」 として保存していますが、実際にはもっと多彩で す。果たして何色のチューリップが撮れるか、来 春には挑んでみたいと思っています。
童謡『チューリップ』では「赤・白・黄色♪」 と、その代表選手があげられていますが、青色を 除いて数百種もの品種が開発されているそうです。 『チューリップ』の詞(昭和5・近藤宮子さん) が作られた当時は、恐らく色彩的に限られたもの だったでしょう。しかし、この三色は様々な個性 を集約した三色だったのではないかと思います。 「白」と言えば、今春(2009)の散策で、背 の低い、およそチューリップらしからぬ姿で白く 輝いている「パープルフラッグ」(右の写真)と いう品種と目が合い、珍しく、ぐっと近寄り撮り ました。
背の低い、ほかの畑にプレートもなく、そっと 植えられていたら私などにはとてもチューリップ とは気がつきません。色はもちろんのこと、開花 時季、草丈、花瓣の形状、そして香りの有無など から園芸用では二千種が栽培されているそうです。 春の花を促成栽培し、クリスマスに咲かせる品種 もあるそうです。名は「クリスマスドリーム」。 公園では見かけませんが、花屋さんの店頭を注意 して眺めてみたいと思います。十七世紀英仏では 「チューリップ狂時代」があり、その頃には、約 八千種あったという驚くべき数字も紹介されてい ます。記念園内のチューリップは約二百種、九万 球が植えられているようです。
しかし、「どのはな みても きれいだな♪」に は違いないのですが子供たちの描くような、あの チューリップは多くありません。富士山の絵柄と 似て、類型的な子供たちの絵。意想外の風貌をし た花の姿に、思わず驚きの声をもらす散策者もい ます。私は、すらりとしたバレリーナの「アン・ オー」のポーズを思わせる「バレリーナ」という 品種が好きで、花屋さんの店頭に鉢植えがあれば、 買い求めて玄関に飾ったこともありました。その バレリーナと今春、〔渓流広場〕で顔を合わせまし た。花は開いて、細身のスタイルは失われていま したが……(写真)。
昨年、元気に歩き回れた頃のこと、残堀川洪水 調整池の背後にあるゴミ集積処理施設の前を通り かかって、思わず目を瞠りました。広々とした作 業場の一郭に、積み上げられた夥しいケース。一 箱一箱に発送元と思われる種苗メーカー名が貼ら れています。九万球と言われるチューリップの球 根のようです。これらをレイアウトに従って植え 込む作業も大変なことです。こうして〔渓流広場〕 に多彩な色模様が描かれるのです。
〔E〕 雪柳
春を告げるユキヤナギ。その名の通り雪のよう に白く、柳の細枝のようにしなやかな抛物線を描 いて、いっぱいの花をつけます。赤ちゃんの小指 の爪ほどの、一つひとつの花瓣も五辨の花びらが 整っていて、かわいらしいものです。淡いピンク のものもあるそうですが、雪柳の白さは格別です。 緑の葉に映えて純白が輝きます。梔子のように、 すぐには顔色を変えません。
しかし何と言っても無数の花々の圧倒的な量感、 そしてその花々が春風に揺らめく様子は、魅力的 です。我が家の庭先では、あまりに成長がはやい ので、毎年短く剪定しなければ人の通り道さえ脅 かされます。その点、公園では緩やかなカーブを 描いて伸びやかな枝が、その美しさをいかんなく 発揮しています。
昭和記念公園のあちこちに見るべきポイントが あります。バークトレインで必ずアナウンスされ るのが、季節には「ユキヤナギの丘」と呼ばれ、 頂きに月球儀のある小高い丘です。サイクリング ロードの第4サークルから立ち上がった円形の丘 は、〔渓流広場〕を過ぎて〔こどもの森〕へ向かう 人達の目を奪います。春なのに降り積もった雪の ようです。カメラを構える人も多く、中には灌木 の間をぬって斜面を下りて三脚を立てる方もいま す。
私の趣味から言うと、〔もみじ橋〕を渡って右手 の斜面に植えられたユキヤナギが好きです。斜面 の中腹の一叢のユキヤナギは、みな大株で、枝も 長く柔らかく、風に揺らいで優雅な舞いを魅せて くれます。背後の斜面の上には菜の花だったり、 ムスカリだったりが、ユキヤナギの純白を際立た せています。勾配が急で、覚束ない足取りでシャッ ターを切るのが常です。稀に人と連れ立って散策 した時も、このユキヤナギを背に写真を撮ります。 斜面の下には、サイクリングロードが〔川沿いの 散歩道〕と並行して走っています。道沿いに並ん でいるユキヤナギの隊列は、風の日などは、諸手 を挙げて、左右に振りながら踊っているかのよう です。公園のあちこちにユキヤナギはありますが、 ここの一郭がもっとも持ち味が生かされています。 魅力のポイント地点を見下ろす場所にはベンチが あり、一息つきながら春の風景を楽しむ方が多い ようです。
公園内の一番人気・〔みんなの原っぱ〕の南端 〔わんぱくゆうぐ〕はウィークデーには母子連れ が目立ち、若いお母さん方のサロンの観を呈して います。私の末娘も二歳になった幼児を連れて、 お友達親子と一緒に遊びにくるようですが、この 一郭にもユキヤナギが植えられています。遊具の 脇のベンチに座ると、同じ目の高さにユキヤナギ の垣が取り囲んでいます。先日ここで、可愛らし い光景に出合いました。遊び終えて、お母さんの 後ろについて、ここにやってきた幼児の仕草です。 一歩先を歩くお母さんが片手でそっとユキヤナギ の一枝に手を添えながら顔を寄せて、花の香を確 かめる風をして花影に姿が消えます。垣の向こう にもベンチが置いてあります。すぐ後ろについて きた女の子も、ユキヤナギを前に立ち止まって、 お母さんと同じように花に手を添えます。しかも 両の手でしっかりと添えて顔を近づけます。私が ゆったりとデジカメを構えるほど、女の子は時間 をかけて、しっかりと香りを記憶しているかのよ うでした。お母さんのベンチに腰を下ろす一連の 動き、その中の花を嗅ぐ瞬時の動作。幼児は母親 の瞬時の動作を心に刻んだのでしょう。何気ない 母親のそれより際立って真剣な仕草に見えました。
少女とユキヤナギ、なんとも似つかわしい光景 で、思い出すと今でも心和みます。
〔F〕 ルピナス
「ノボリフジ」(昇り藤)とは、よく言ったものです。長い花房の形状も、先端に向かって順次に咲いていく様子も、もちろんその妖婉な美しさも、藤の印象に似ています。ところが日本的な雰囲気が漂う藤と異なり、広大な西洋の野の風景が思い浮かびます。直に目にした経験はありませんが、映像や紀行文で一面にルピナスの咲く風景を見たことがあります。名もループス(狼)に由来して、どんな土地でも逞しく育つ故に、厄介者に思われているふしもあるようです。
こんなことが頭の隅にあったからでしょうか、以前、奉職先の学園で、小学部裏の広大な原っぱに、栽培の名残なのか、雑草にまじって斑に咲いているルピナスを見て、西洋の野の風景を思い描いた記憶があります。
春になると花屋さんの店先には、色とりどりのルピナスの鉢植えが並びます。種蒔きからの栽培は経験はありませんが、つい数年前までは、園芸店で鉢植えを求め、玄関先に飾ったものです。苗や鉢植えを求める時は、自転車で出かけましたが、今は自転車も覚束なくなり、また贔屓にしていた「お花畑」はマンションに、「N園芸」は駐車場に姿を変えてしまいました。ほんの数年の間のことですが、寂しい世界になりました。今は、ご近所の「花暦」さんの店頭の花を眺めたり、時に店の奥のフラワーケースの生花を撮影させていただいたりしています。
昭和記念公園の〔ふれあい広場〕西の緩やかな斜面にはルピナスの種が蒔かれました。以前には〔みんなの原っぱ・中央売店〕横の広場に、写真のような(上の二枚)ルピナス畑がありました。一面に、とはいきませんが、売店のテーブルで寛ぐ人を癒してくれるのには充分でした。翌年はどんな色合いの花が咲くだろうか?ルピナスには様々な色があります。紫・桃色・黄・白などよく見かけますが、ほかにもたくさんあります。北海道旅行をしてきた嫂がHPにメールとともに北の大地のルピナスの写真を送ってくれました。御自分でも好きな花の一つで、家の花壇で栽培されたこともあるようです。その嫂が「北海道と違って白系が多いわね」と公園のルピナスの色調を言っていましたが、翌年はどういうアレンジになるか分からないだけに楽しみなのです。北のルピナスは背が高い、と何かの本で読んだことがありましたが、どうだったのでしょうか。
右の写真は昨年(2009)の五月の初旬のルピナスです。〔ふれあい広場〕の斜面は陽当たりも絶好ですが、まだ生育も株によって疎らで、葉も小さく、充分に繁っていません。まだ養育中の低い柵に囲まれているせいもあるでしょうか、広場で遊ぶ人も、屋外のテーブルで軽食をとる人も、まだ目を引かれないようです。何枚かデジカメに収めましたが、何か心許ない感じがしました。それ以降の写真は、五月下旬の散歩の折に撮影したものです。植え込みは、帯状に斜面を上っています。概ね咲き揃った印象ですが、期待していた背の高さ、花房の長さに物足りなさがありました。何人か撮影されている方もいましたが、どうしても、広場に憩う人たちとルピナスとの間には心理的な距離を感じました。私は、片膝をついて、辛い体を曲げて、低いアングルからも何枚も撮りました。来年こそは〔みんなの原っぱ〕の、あのルピナスのような花を!と待ち望んでいます。公園には、それぞれの公園の持つ個性があり、ルピナスの場合、近くは埼玉県の「武蔵丘陵森林公園」、遠くは青森県十和田の「鯉艸郷」の群生を映像で拝見しましたが、別世界を思わせるものでした。昭和記念公園は春たけなわの桜やポピー、菜の花、チューリップ、この花いっぱいの季節を過ぎて、初夏の風が薫ってくると牡丹や紫陽花、菖蒲や睡蓮など公園には見処が続きます。公園を訪れる人の多様な望みを適えてくれるように、花の場合も折々に多様な花が、私たちの目を楽しませてくれます。これが、この公園の個性なのかなと思います。しかし、この季節〔みんなの原っぱ〕の花畑は小休止の感じがします。ここでルピナスを、是非見たいものです。
ルピナスの帯の上る斜面、その上にはナンジャモンジャの木が、真っ白な花をいっぱいに咲かせて見下ろしていました。
〔G〕 初雪葛
〔さつき橋〕を渡ると左に〔花木園〕の休息所があります。ハーブティーやソフトクリームなどで一息つかれた方も多いことでしょう。正面には、数本の大きな檜葉の木の、明るい黄緑の葉が輝いて見えます。この周囲には、紫陽花やヤブランが目立ちますが、ここを過ぎる時、何よりも「今日はどんなだろう?」と気に掛けるのが、「ハツユキカズラ」です。
葉の色の変化、真っ白な葉はやがてピンクに、緑の葉も冬には燃えるような茜色に染まります。白もピンクも、柔らかな色合いが魅力的です。枝分かれした蔓の先端につけた細やかな花瓣かと見紛うばかりです。冠せられた「初雪」の名も、おそらくは無垢な白い葉の美しさを見立てたのでしょう。定家と式子内親王の伝説や、様々な葉の 斑紋が独特の和の風趣を感じさせるテイカカズラ(定家葛)と異なり、ほのぼのとした洋の美しさを感じます。緑の葉にも微妙に濃淡があり、葉脈が白く透けて見えます。白やピンクの名残が斑に認められているのも独特です。どの季節の色も、それぞれに美しく、観賞期として十二の月の数字が並んでいる園芸書もあります。稀には白い花が咲くようですが、まだお目にかかったことはありません。お恥ずかしい話ですが、以前、我が家の庭で、初めてツルキキョウやアロエの花が咲いた時に感激したことがあります。後に、何処にでも当たり前に目撃し、見聞の狭い者の愚かな感激でした。
ハツユキカズラの花を、これからの散歩で見つけていくのが楽しみです。
我が家でも四、五年前にビニールポットの苗を求めて、数カ所のプランターやハンギングポットなどに植えて楽しんでいます。この冬(2010年)は、まるで錦木の紅葉のように朱く染まりました。西洋種の観葉植物では味わえない魅力です。しかも日影を除けば植栽の場所も選ばず、寒さ対策も無用です。強靱な生命力で発育もよく、長く伸びた蔓に刈り込みを加えると、豊かな株に成長します。府中市のN駅にマンション住まいの娘の家を訪ねることがありましたが、途中に、木通の蔓を見事に絡ませている垣根を見ては、実ったアケビの数を数えてみたり、初雪葛を竹垣に組んでいるお宅の前を、振り向きつつ通り過ぎたり、知らない街を歩く楽しみを味わったものです。
いつもは正月の松の内には公園の初散歩をしていましたが、今年は体調への懸念から、二月の末の春一番の吹いた日となってしまいました。あの〔花木園〕の満開の梅を見た後、レストハウスのハツユキシグレの様子を見るのが、この日の目標でした。
しかし、ガッカリでした。ほとんど根元に近い部分まで刈り詰められていたのです。煉瓦を数十センチ積んで拵えられた花壇は、すっかり丸坊主で、土がむき出しです。「発芽しても白やピンクの葉にならない時には、剪定をするとよい」と耳にしますが、これほどまでに切りつめる必要があったでしょうか?
隣には、ナツユキカズラが夏には、雪のように白い花をいっぱいにつけていました。これもまた、大胆に切りつめられていました。素人の私は解せない思いで、〔みんなの原っぱ〕に向かいました。
前回の更新で加筆した「初雪葛」、その直後の今年(2010年)の春、我が家の初雪葛に花が咲きました。(最下段の写真)小指の爪ほどの真っ白で小さな花ですが、少々肉厚な感じとスクリューのように捻れた形状が可愛らしい花でした。一鉢に沢山の花が咲けば、その美しさは際立つのでしょうが、花芽を持った蔓は一鉢に数本を数えるに過ぎません。鉢はハンガーで、南面の陽当たりのよいウッドデッキの柵に掛けてあります。庭のあちこちに四つばかりある初雪葛の鉢では、日やけが心配なくらい陽当たり絶好の場所にありました。初めて見た花だけに辛い体で庭先におりて、何枚も撮影しましたが、ふと「今までも咲いていたのでは?」という思いが頭をもたげました。身近なものに対しての我が目の不確かさを、何度も経験しているからです。
〔H〕 ミソハギ
〔西立川口〕を潜ると、行く手の〔水鳥の池〕 が、たまらない解放感を与えてくれます。
池に向かって、緩やかな階段を降りると、初夏 の水辺には、何故か懐かしい感じを抱かせるミソ ハギが群生しています。湿地に自生することから 「溝萩」と、盆花として供するので「聖霊花」と、
また「鼠尾草」という表記は、その形状からなの でしょうか。様々な説があるものですが、水辺で 沐浴し潔斎する「禊草」から由来したと考えるの が定説のようです。「千屈菜」は難読であるばかり
か、何故に「千屈菜」(センクツサイ)なのか、調べは 捗りませんが、形状は直立の穂状なので「千屈」 には程遠く、植物そのものよりも、やはり「禊ぎ」 と関連して手にした人間の行う所作からきている
のではないかと、勝手に想像しているわけです。
牧水が歌集『山桜の歌』(大正12年)の中で、二首連作で「みそ萩」を材にして詠んでいます。 その一首には、
――みそ萩の花さく溝の草むらに
寄せて迎火たく子等のをり
とあり、この花の性質をよく物語っています。
(わが町の駅頭には牧水の歌碑があり、また市街を南に外れ た根川緑道には散歩道の傍らに小さな歌碑が建てられています。歌集『路上』には多摩川を詠んだ歌も多く、またお孫さんが同級生でもあり、愛着を感じる歌人の一人です。)
露伴の句にも
――家遠しみそ萩つむは孤児(みなしご)かと、これも亡き人の御霊を迎えようとする健気な子供を配しています。
長野県などでは「お盆の日、花に水をつけて玄 関先で祓い、祖霊を迎える」(湯浅浩史氏・朝日新聞社、 「花おりおり」)と云います。
以前、「黄色いコスモス」の開発余話を寄せて くれた大先輩S氏のお手紙(「折々の花・コスモス」) には、故郷・山形の庄内地方での「ミソハギ」の思い出話もありました。そんなことが頭の片隅に
あったからでしょうか、季節には、先ずその場所 をめざし、立ち止まって眺めるようになりました。
茎に幾十となく小さな薄紅色の六辨の花を穂状 につけています。一つ一つの花にも、いかにも里 の花らしい素朴な味わいを感じますが、何よりも 水辺に群生し、林立している姿には鄙びた感じが
そそられます。〔水鳥の池〕の汀の、その姿に目を 向けると、対岸には、既に色褪せ始めた半夏生の 群落がボーッと霞んで見えます。更に歩を進めて 池の東、〔眺めのテラス〕に向かうと中之島が直ぐ
近くに見遣れる汀にも、ミソハギが見られます。小さな島や周りの水面には水鳥が羽を休めたり、 餌を求めたりしています。ボートは進入禁止の、 静かなエリアです。
彼岸花も秋の季語です。しかし目を射るほどに 真っ赤で、天然のものとは思えない、匠の技を尽 くしたものと見紛うばかりの華美な形状の彼岸花 は、群落となると見る人を圧倒して、どうも風景 と和みません。土手や畦に点在する彼岸花の風景 には郷愁さえ感じさせられますが、かつて巾着田 の彼岸花には目がくらくらした記憶があります。
ミソハギは対照的に水辺に落ち着いた佇まいで、 見る人の目を汀に、そして水面に、更に遙かな空 や雲にも誘ってくれます。最近は身を乗り出して カメラを向ける人も多いようですが、公園の中で は、ひっそりと風景と調和した目立たぬ花の一つのようです。
私がどう言葉を尽くしてもS氏の「庄内の思い出話」には到底及びません。少々長くなりますが、 その書簡の一部を引用させていただき、ミソハギ の過去と現在、そして人との温かい関わりに思い を寄せて締め括ります。
…… 山形庄内地方では、これを盆花と言います。私達子供の頃、農耕用にどの家でも馬か牛 を飼育していました。餌の草は、田の畦で刈り 取ってきました。畦や灌漑用の溝周辺にはミソ
ハギがあって、草を刈るときは注意して残しま した。八月十三日、お墓参りのときは、この花 を加えた花束を墓に供える習慣がありました。 十三日の朝、田に行きミソハギをたくさん刈り
取り、農家でない近所の人たちにもあげたこと を覚えています。田舎のことですから家の周り にも様々な花が植えてありますが、それらの花 にミソハギを必ず何本か加えます。親類の方や
嫁に行った人たちが墓参りに来ますが、大体は 花束を持ってきませんで、庭先で気に入った花 を切り、ミソハギを束に加えてお墓に。そんな 具合ですからミソハギと言うより盆花と云う方
がなつかしい。今は……基盤整備によって田を 一枚300坪の大きさに作ります。そのため昔 の畦も何もつぶしたため、ミソハギもアヤメも 畦にはありません。私の家では、嫂が裏の畑に
移植しておいてくれました。子供の頃、なんぼ でもあったものが、今では消えてしまっていま す。残念なことです。
(引用を快く承諾して下さいましたS氏・鈴木昭八先生に 感謝いたします。)
