ひととき - 公園でどのようなひとときを過ごされますか?


公園での「時」の楽しみ方は実に様々です。庭園という、ある面では芸術的な存在とちがって、訪れる人がそこで何をするか、どのような「ひととき」を過ごすかによって公園の価値が生まれるのでしょう。
昭和記念公園は、その変化に富んだ空間演出からか、実に様々なひとときを過ごすことが出来ます。この公園は人の様々な活動の喜びを、全て受け容れてくれるようです。ただ私は今、静かに歩くことしか出来ませんが……。
家族や仲間たちと遊び興じる。独り汗を流してひたすら走る。画布に向かって花々や風景を描く。手帳を手にして句を案じる。いっぱいの大空を仰いで目を閉じる。林間の草地に座して本を読む。静かな散歩道を独りで、あるいは語らいながら逍遙する。身をかがめて草花を観察する。同好の士と紙飛行機を飛ばし駆けめぐる。風と対話しながら凧を揚げる。愛犬とともに貴重なひとときを過ごす。双眼鏡を片手にバードウォッチングをする。スポーツ施設を使ってゲームを楽しむ。アウトドアー学習をされるシルバー大学の一行、そして園内の様々なボランティア活動に参加されている方々。草地にゆったり坐ってお弁当を広げる御夫婦、木陰のベンチでオカリナやリコーダーの練習をされている御婦人。先日、〔水鳥の池〕の池畔で、肩を寄せ合って楽譜を見ながらオカリナの音出しの練習を重ねていた年配の方と若い女性の二人、母娘なのか、同好のお仲間なのか、あれこれ思い遣られて応援したくなりました。花木園の四阿の長椅子に独り坐してリコーダーを奏でている方を一瞥した時も、お母さんかな、小学校の先生かな、どのようなお気持ちからか?などと思いめぐらしつつも、想像される心根の、どれも立派であるのに、勝手に納得して歩き続けました。最近、インラインスケートで颯爽と滑走する初老の紳士に出合います。実は初老どころか、古稀を過ぎていらっしゃるそうで、その若々しさには驚かされます。目の前を風のように滑っていかれるので、カメラに収めるのも大変でした。先日どうにかシャッターをきって、同じ緩やかな坂を戻ってこられと時、声をおかけすることが出来ました。
私は今、デジカメ片手に静かに歩くことしか出来ません。しかし、それがこの公園を楽しむ私なりの「ひととき」なのです。 風景や花々を描く人も多く訪れています。写真の画伯は昨年仕上げることが出来なかったコスモスの咲く原っぱの絵を仕上げにみえたそうです。〔水鳥の池〕の周りの紅葉した風景や、その片隅の池に咲く睡蓮などが画伯たちの人気のポイントのようです。
最近、各地域で文化祭などの催しが開かれていますが、きっとこの公園を描いたり、撮ったりした作品も展示されるに違いありません。
広々とした青空の下、原っぱを眺めながらのお二人のひととき。偶々うしろを通りかかり、落ち着いた静かな語らいが感じられて、失礼を承知で思わずシャッターを切ってしまいました。ここにも、とても輝いている時間が流れているようでした。
〔みんなの原っぱ〕の西端(季節や風向きによって移動するようですが)、紫陽花の植え込みの前に一本の吹き流しが立てられています。そんな日は「多摩凧の会」の方たちが、風を相手に楽しんでいらっしゃいます。ホームページもお持ちで、私も拝見させていただき、その楽しいひとときを彷彿させられメールを差し上げたこともありました。会長はKさん。市内のバスを乗り継いで公園にお出かけになるそうです。途中、我が家の前をお通りになるコースもあり、いつも公園でお姿を拝見している気安さからか、ある日、道端で偶然お会いしたKさんに声をおかけしました。瞬間戸惑われたようでしたが、すぐに穏やかな笑顔をお見せになり、話の相手をして下さいました。Kさんも他の会員方たちも、おそらく私よりはご年配の方たちです。
Kさんは私にこんなことを言われました。「私も原っぱで遊ぶ仲間たちも、みんな体のどこかに不安をかかえていますよ。あなたも頑張って下さい」。話の途中で私は咳き込みますが、Kさんはいつも杖をつかれています。
そのKさんは(実は小岩さんとおっしゃるのですが)、バイオカイトの名人で、「みんなの原っぱ」で遊ばれる方で御存知ない方はいらっしゃらないでしょう。先日の「出没!アド街ック天国」(東京TV)で昭和記念公園が特集された際、第1位は「みんなの原っぱ」でした。原っぱには凧と紙飛行機は欠かせません。特に「小岩さんのいない原っぱなんて!」と思っている私は、テレビ画面に、その勇姿を拝見して、大いに満足したのでした。後日、小岩さんにうかがったところ、僅か何秒かの画面上の映像のため、夏の炎天の〔みんなの原っぱ〕で、あれこれ注文を受けながら数時間の撮影があったそうです。その後体調をくずされ、しばらくは凧揚げも自重されたそうです。穏やかなお人柄の小岩さんは、そう仰るだけで笑っていらっしゃいましたが、聞いている私はマスコミの方としては至極当然な仕事ぶりだけに、なおさら憤慨しました。私のようなものでも数枚の文章のために十枚の原稿を書くこともあります。そうした問題でなく、マスメディアには思いやりを金科玉条に掲げて実は思いやりに乏しい側面があるからです。
昨年、私の入院時に同じ病室で過ごしたKさん(実は小島さんとおっしゃるのですが)は八十歳をこえて、なお矍鑠とし、私よりはるかにお元気でした。Kさんのご希望に応えて秋の公園散策を案内した折、〔みんなの原っぱ〕でたまたま出合った「凧の会」の方に声をお掛けしたところ、空に消え入りそうに高くあがった手製の凧の糸を持たせ、掌に感触を味わわせてくれたり、丁寧な説明までしていただきました。その後、Kさんと南売店で焼きおにぎりの昼飯。Kさんが持ってきて下さった三ツ矢サイダーが懐かしく、美味しくいただきました。「多摩凧の会」の皆さん、ありがとうございました。
今夏、学生時代から親しくしていただいているA氏から暑中のご挨拶とともに私のHPの感想をメールで寄せてくれました。メールには「夏に入り、何度か公園の木陰に憩いました。私の隣で鴨も涼んでいました。」と加えてありました。〔水鳥の池〕の畔に坐して、人懐こい鴨と戯れ、穏やかなひとときを過ごされたのでしょう。その「ひととき」を私も共有したかった思いが残りましたが、独りの「ひととき」もまた貴重なのは、私にも、よく分かっています。
多くの方々のひとときを羨望することもあります。もちろんそれは輝いている「ひととき」だからです。息があがって小さな子供とキャッチボールも出来ない私も、こうして静かに歩き、折々に見たこと、考えたことを綴っているひとときに輝きを見いだしていこうと思います。
